図1《婦人像》(1963)
洋画家・中村研一(1895-1967)にとって、「仕事」とは絵を描くことに他なりません。中村研一にとって主たる発表の場は公募展や団体展でした。こうした機会に制作された大型の油彩作品は言うなれば「仕事の絵」であり、明快な色調やはっきりとしたアウトラインなど、いかにも中村研一らしい画風を見て取ることができます(図1)。しかし、そもそも小さな頃から絵を描くことが大好きであったからこそ画家を志した中村研一にとって、描くこと、何かを創作することは、日銭を稼ぐだけではなく人格の最も深い部分に結びつく行為であったと言えるでしょう。
一方「手遊び」とは(暇な時に)手を動かしてする他愛もないこと、の意です。つまり何でもない日常の中にも、創作があり気負わず心のままに行うことだからこそ、その人の感性を如実に反映するのです。
一方「手遊び」とは(暇な時に)手を動かしてする他愛もないこと、の意です。つまり何でもない日常の中にも、創作があり気負わず心のままに行うことだからこそ、その人の感性を如実に反映するのです。
図2《出雲取手付猫面壺》
図3《備前紐付偏平壺 蟹図》
作陶は中村研一にとって大切な自分の時間でした。
《出雲取手付猫面壺》(図2)や《備前紐付偏平壺 蟹図》(図3)からは、ルールにとらわれず自由に作りたいものを作る時間を、心から楽しんでいる様子がうかがえます。生前、中村研一が自作陶器を公募展などに出展することはありませんでした。しかし、だからこそ人の評価を気にせずに打ち込むことができたのでしょう。
《出雲取手付猫面壺》(図2)や《備前紐付偏平壺 蟹図》(図3)からは、ルールにとらわれず自由に作りたいものを作る時間を、心から楽しんでいる様子がうかがえます。生前、中村研一が自作陶器を公募展などに出展することはありませんでした。しかし、だからこそ人の評価を気にせずに打ち込むことができたのでしょう。
図4《早春》(1962)
《早春》(1962 図4)は第48回光風会展に出展した作品です。画家として作品が人に見られることを考え、満足のいく自身のある出来だったのでしょう。画面の中にさまざまなものを配置しながらも安定感のある構図、マティスのような色彩はさすがです。構図の中央に置かれた花活けが自作らしいのはちゃっかりしたところでしょうか。
展示ではこのほかにも挿絵用のカットや絵はがきの原画、戦前・戦中期の軍の依頼に関わる油彩、人に贈った仔猫の絵など、中村研一の仕事と手遊びのさまざまな面をご覧いただけます。
展示ではこのほかにも挿絵用のカットや絵はがきの原画、戦前・戦中期の軍の依頼に関わる油彩、人に贈った仔猫の絵など、中村研一の仕事と手遊びのさまざまな面をご覧いただけます。
図1《婦人像》で富子夫人が抱いているのは、愛猫"秀ちゃん"。秀ちゃんは愛称で本名は秀二だといいます。
とても優「秀」な猫でそれに研一の次の数字「二」をつけた名前だと、富子夫人がのちに語っています。